2008年8月2日土曜日

トレース・エレメンツ@初台・オペラシティ

を見に行った。今週。
http://www.operacity.jp/ag/exh96/index.html

志賀理江子さんの写真展示が見たくて
フライヤーで気になっていた田口和奈さんの作品も見たくて
行ったわけなんですが
ほぼすべてのブースで
期待を裏切られることなく満足して帰ってこられました。
メディアアート(?)というのでしょうか。
この分野にはまだまだわくわくできるようなことがある気にさせられます。

古屋誠一さんの展示では
(古屋さんの作品のモデルでもある)亡くなった奥様・クリスティーネさんの
手帳からおこされた当時の日記や
古屋さんの日記が細やかに記載された冊子を置いています。

それを見ながら
写真を1枚づつ追っていったのですが
(量が多いので少し骨がおれます)

自分がかつて古屋さんの写真集だけを見て
思っていたのとは異なる、壮絶な当時のやりとりが読み取れ
古屋さんやクリスティーネさんやその写真たちに対する印象が変わった。
変わってしまった。というか。

写真画面とそれを否応無しに説明してしまうテキスト。
そのふたつの関係や効果については
アリとかナシとか含め是非についても色々議論はあるのだと思うけれど、

ゆうても←つかってしまった
(笑)
画だけで訴える種類の写真もあれば
テキストによって説明させることに意味がある種類の写真もあるのですよね。

結局は、優れた写真(やアート作品)は単体でも
一人で歩いていってしまうものだと思うのだけれど、

事始めにアーティストの意思として提出されたもの(テキスト)は
作品としての写真全体を覆うことになる。
ひとつの作品として見る時・理解したい時にはやはり切り離されないものだと思う。
理解を望むのならばね。

はずかしながら、人の作品を見る時
急いでいるとき、よくわからない時、チラ見だけですませてしまうことがあります。
だったら何故この時間をこの場に費やしているのだろうね。

チラ見では感じることはできても
把握・理解には到底辿りつけるはずもない。

それに、アートは感じるものであるという
固定観念のわなにがっぷりはまってる気がしてなにか嫌な感じがする。
(すべてを理解できるものではないかもしれないけど、
理解しようとする努力や、頭の働きは蓄積されるはず。大事だべ。)

説明に頼った作品は弱い、というのも一つの真実だろうし。
見る人を惹き付けるインパクトが大事というのもわかる。
だから
一概にはいえないとは思うけどね。
(本当に断定するということはむずかしい)


ただ、この調子でいると
わかったようで、わかった気になっているもので
身の回りがあふれてしまってる。氷山の一角じゃー。。。
とはっとしたので日記に書きました。

別に
美術館に行くのがおしゃれと思って
行っているわけじゃないのに。
習慣化してくると
たいしてモノも考えず、特に感じず
つまらないのは相手のせいにしてしまうようになったりする。
(全てが素晴らしいものだとはもちろん思わない)

だけどほんとは感度が鈍ってんのは自分の方でしょ。
というのが実際のとこだったり。
旅行だってきっとそう。

なんて
たまにはまじめなことで気を引き締めようかと
思うのでした。


初台オペラシティアートギャラリー
Trace Elements(トレース・エレメンツ)は
10/13までやっているようです。

良ければ足を運んでみて下さい。
体験型の映像/ビデオインスタレーションもあり面白いですよ。



では