2009年10月30日金曜日
2009年10月29日木曜日
2009年10月27日火曜日
日曜日の無銘喫茶たなかのひ
にお越し頂きましてありがとうございました。
今月も盛況に終えられめったにない満員御礼もみなさまのおかげでございます。
にお越し頂きましてありがとうございました。
今月も盛況に終えられめったにない満員御礼もみなさまのおかげでございます。
誕生日もおめでとうだったよ。はじめましてな人にも沢山会えました。
らりほう。
2階の写真はタイトルつけなかった。
この写真にことばがいらないような気がして。
入れたらあざとい方向にもっていきそうなのをセーブしてみた。
あなたがいること
写っていること
それでしかないけども
私は見続けてしまう。
だからかな。
ナショナルフォートでプリント出したのよかった。わるくない。
楽しくもあり
慌ただしくもあり
活気のある雨の日曜日でした。
寝ます。おやすみ地球。
そうそう。大事なリンクを貼らなくちゃ。
竜土町きらくにみんな行くといいよ。いや。たなかをごはんに連れてってほしい。あのダンディな声がもう一度聴けるはず。
2009年10月24日土曜日
自分用のメモのような雑記のような
誰かと心のそこで手をつなぐことができていられれば
ひとりでも立っていられるようになるかもしれない。
その人も同じようにみえない手のひらを握っていることを
願うしかない。
それしか方法がないようなときには、ひとはよくわからないものを
信じたり頼ることがある。上の話はそんなのの一つの例だろうと思われればいい。
この世界では神様を忘れている。忘れてるでしょう?
神様を感じて神様の顔を見ながら生きていられたらいいのに。と思ったりする。
それは私の神さま。あなたにはあなたの神さま。
なんの手も貸せないことを嘆くのは
勝手にやるせない気持ちになってるだけで、実はただのエゴなのかもしれない。
もっとシンプルで素朴な感情でいたい。
道をひとつ選べば残りの道を捨てたことになる。
残りの道を捨てることがこわかった。いつも
どの道も選べるようにしておきたいからだ。
道を目前にしてそこにずっと寝転んでいればいいのだけれど
時間が止まるわけでないから選べる道の数はすこしづつ減っていく。
結局どこかにいかねばと思ってくる。
振り出しに戻る。その繰り返しを生きている間何度か繰り返すとタイムリミットがきてしまう。
時間に気をつけろ。と思う。
ものごころと努力と勇気と行動、あと学習意欲
平常心。持ち合わせているようで、ないような性質。
ないようであるときもある。
連続すればもっとよいよね。
自分用の言葉は紙の日記にかくべきだろうか。
ちなみにその日記は誰かに発掘されたいのだろうか。いやちがう。
でも紙の日記に書く時ですらなぜか他人に読まれても恥ずかしくないようにかいてしまう。
「たとえ間違って、いつ見られてもいいように」だ。
なんでだろうこの不思議。昔からだ。
本当の本当の本当のことばはいったいどこに隠しておけばいいんだろう。
紙にも書かず、言葉にも発さず、どこに持って行けばいいだろう?
「本当」は「隠す」ものというのがそもそも違うんだろうか。
「裏」も「表」もありませんというように。
だからこの日記も「公開」のボタンを押すのかもしれない。
ひとりでも立っていられるようになるかもしれない。
その人も同じようにみえない手のひらを握っていることを
願うしかない。
それしか方法がないようなときには、ひとはよくわからないものを
信じたり頼ることがある。上の話はそんなのの一つの例だろうと思われればいい。
この世界では神様を忘れている。忘れてるでしょう?
神様を感じて神様の顔を見ながら生きていられたらいいのに。と思ったりする。
それは私の神さま。あなたにはあなたの神さま。
なんの手も貸せないことを嘆くのは
勝手にやるせない気持ちになってるだけで、実はただのエゴなのかもしれない。
もっとシンプルで素朴な感情でいたい。
道をひとつ選べば残りの道を捨てたことになる。
残りの道を捨てることがこわかった。いつも
どの道も選べるようにしておきたいからだ。
道を目前にしてそこにずっと寝転んでいればいいのだけれど
時間が止まるわけでないから選べる道の数はすこしづつ減っていく。
結局どこかにいかねばと思ってくる。
振り出しに戻る。その繰り返しを生きている間何度か繰り返すとタイムリミットがきてしまう。
時間に気をつけろ。と思う。
ものごころと努力と勇気と行動、あと学習意欲
平常心。持ち合わせているようで、ないような性質。
ないようであるときもある。
連続すればもっとよいよね。
自分用の言葉は紙の日記にかくべきだろうか。
ちなみにその日記は誰かに発掘されたいのだろうか。いやちがう。
でも紙の日記に書く時ですらなぜか他人に読まれても恥ずかしくないようにかいてしまう。
「たとえ間違って、いつ見られてもいいように」だ。
なんでだろうこの不思議。昔からだ。
本当の本当の本当のことばはいったいどこに隠しておけばいいんだろう。
紙にも書かず、言葉にも発さず、どこに持って行けばいいだろう?
「本当」は「隠す」ものというのがそもそも違うんだろうか。
「裏」も「表」もありませんというように。
だからこの日記も「公開」のボタンを押すのかもしれない。
2009年10月23日金曜日
松濤美術館/野島康三をみて階段を昇る日
データ出しにいった帰りに渋谷の松濤美術館に寄った。
肖像の核心展というタイトルだったから。
昔の人と自分と何かが違うだろうかと思ったから、見たくなったのね。
どうして人を撮るんだろう。考えたり、聞かれたりする度に
「私が人に会いたいからだ」とずっと思ってきた。
でも何かなにか足りないような気もすこしあった。
どうしてポートレイト?
どうしてだれも彼も知っているような人でない普通の人を撮るの?
友人を撮って見せて世の中になんの意味があるの?
それってアートなの?趣味なの?自己満足なの?
なんなの?
*
自覚していなかったことがひとつある。
顔って強いんだ。ということ。
これだけでは意味がわからん文章ではあるけれど。
強い顔って存在する。
おそらく誰でも持ってるもので、何かの瞬間で、顔のもつパワー自体がでちゃっている
状態の顔というのか。よけいにこんがらがる言い回しになってますが。
その顔にはうまく説明しがたい魅力がある、ということ。
わたしはその人のキャラクターにも惹かれてる、その人のもつ外面的なものや
空気のようなものにも。だから会いたいと思うのは必然のような気もするし
何よりそれは嘘じゃない、ごく自然な発想。
でもまてよ。
もしかして私が惹かれているのは
その顔が持ってる例のアレ!と、無意識のなかで予想&期待していた
よくわからない状態の中の顔/顔状の空間のねじれ的時間(?)なんじゃなかろうか。
という気づきにいたりました。
世に言う美人不美人とか、ハンサム不ハンサムとは別のところに存在するやつ。
顔。。いまさら出たのが顔か。。
振り返ると荒木さんが「顔」を撮ってる。
野島康三さんが「女の顔」を撮っている。
ひとはひとの顔に惹きつけられるんだというシンプルな話に
すごく納得がいってしまって
今日は階段を昇った感がある。君はもうシンデレラかしら。
プリミティブな欲求ってこういうことなのかも。
人がすき/人に会いたい
それはなぜだったか?
それはどの瞬間も同じであったことのないあなたの顔を、
1秒先にもどうなることかと
いつまで見ていたいからなんだともおもった。
ねじれはいつでもやってくるし、いつやってくるのかもわからない!
見続けるしかないのだー。
顔を見すぎると失礼だと言われるので、
昔からできるだけ見すぎないように気をつけているつもりなんですが。。
でも本当のことをいうと失礼でも見ていたいのが顔だったり。
その顔をよくみせてと
今度は口に出してみるのも、歌のようでおもしろいかも。
明日早いし超ねむたいのに長々書いちゃったよ。
おやすみなさい夜。ふとんへダッシュだ。
肖像の核心展というタイトルだったから。
昔の人と自分と何かが違うだろうかと思ったから、見たくなったのね。
どうして人を撮るんだろう。考えたり、聞かれたりする度に
「私が人に会いたいからだ」とずっと思ってきた。
でも何かなにか足りないような気もすこしあった。
どうしてポートレイト?
どうしてだれも彼も知っているような人でない普通の人を撮るの?
友人を撮って見せて世の中になんの意味があるの?
それってアートなの?趣味なの?自己満足なの?
なんなの?
*
自覚していなかったことがひとつある。
顔って強いんだ。ということ。
これだけでは意味がわからん文章ではあるけれど。
強い顔って存在する。
おそらく誰でも持ってるもので、何かの瞬間で、顔のもつパワー自体がでちゃっている
状態の顔というのか。よけいにこんがらがる言い回しになってますが。
その顔にはうまく説明しがたい魅力がある、ということ。
わたしはその人のキャラクターにも惹かれてる、その人のもつ外面的なものや
空気のようなものにも。だから会いたいと思うのは必然のような気もするし
何よりそれは嘘じゃない、ごく自然な発想。
でもまてよ。
もしかして私が惹かれているのは
その顔が持ってる例のアレ!と、無意識のなかで予想&期待していた
よくわからない状態の中の顔/顔状の空間のねじれ的時間(?)なんじゃなかろうか。
という気づきにいたりました。
世に言う美人不美人とか、ハンサム不ハンサムとは別のところに存在するやつ。
顔。。いまさら出たのが顔か。。
振り返ると荒木さんが「顔」を撮ってる。
野島康三さんが「女の顔」を撮っている。
ひとはひとの顔に惹きつけられるんだというシンプルな話に
すごく納得がいってしまって
今日は階段を昇った感がある。君はもうシンデレラかしら。
プリミティブな欲求ってこういうことなのかも。
人がすき/人に会いたい
それはなぜだったか?
それはどの瞬間も同じであったことのないあなたの顔を、
1秒先にもどうなることかと
いつまで見ていたいからなんだともおもった。
ねじれはいつでもやってくるし、いつやってくるのかもわからない!
見続けるしかないのだー。
顔を見すぎると失礼だと言われるので、
昔からできるだけ見すぎないように気をつけているつもりなんですが。。
でも本当のことをいうと失礼でも見ていたいのが顔だったり。
その顔をよくみせてと
今度は口に出してみるのも、歌のようでおもしろいかも。
明日早いし超ねむたいのに長々書いちゃったよ。
おやすみなさい夜。ふとんへダッシュだ。
2009年10月14日水曜日
「私人生に前のめりです」
私が手伝えることで
一生懸命やるのが仕事。
あなたがこの世界に存在することとか
どんなたたずまいでどんな目をしているだとかを
まだ見ぬ人に届くように、つないであげること。とか
あなたが発する声を聴きたくなるように、
その瞬間をつかみにいく。ひろいあげる。ひいてみる。愛する。見る。とかをする。
そこに向かえるように準備もする。
難しそうだけどシンプルで
シンプルだけどむずい。
でも私の仕事のゴールはシンプルだから
一緒に進んでいくことが大事だと思っている。
ひとつひとつが大切だなあと思った。
大切に思えなくなったらきっと終わりでもあるなあと思った。
お仕事の打合せを終えて、
がんばろう〜
という自分にむけての雑感でした。
追伸
なんかの言葉の最後に「でも、人生に前のめり!」と付け加えて考えるのが
個人的に流行ってます。おすすめです。
お腹がすいてても仏頂面でもつい笑える(笑)
2009年10月11日日曜日
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