たとえば、祈りを捧げるように
何かの行いをするとしたら、なんというか
それはとても厳かで、ささやかで、時間がとまってしまうような
神聖なひびきがある。
だれも触れてはならない。
触れることができない。
べつの人やモノとは代え難い。時間や場所や精神状態。
がそこにあるような。
祈る、という行為の崇高さとはかなさを思うと
胸がいたむくらいに、その言葉には
とても切なく強いパワーがある。
だからかな。
なんだか簡単に口にすることをはばかられてしまう
というのが私の思うとこ。
その言葉を随所で、複数の異なる口からここ数ヶ月の間に急に
割と似通った文脈で
見たり聞いたりしたもんだから
なんだか違和感があって居心地が悪く思った
でも
もしかしたら本当に
祈るようにして
日々暮らしているのかもしれない。
とも思った。
そしたら「疑ってゴメンよ」というしかない。
神様がいたらいいのにと嘆く私が
一番その存在を訝しがって懐疑的でハナから信じてなかったりして。
ときづく瞬間。
誰かが祈るという行為を
すぐに信じてあげられないこと。
新聞も雑誌もテレビも信じないという延長に
誰も信じない、誰かのことばを信じない、もあるのかしら。
知り合いに何を信じて日々生きているのか
聞いてみたくなる。
明日は死ぬかもしれないし、明日は価値がかわるかもしれない、
舞台の裏側はわからない、あのひとの心もわからない。
それでも日々生きてくし、せめて何かを信じていたい。
むちゃくちゃ簡単だけどひとはそんな時にも
祈るのかもしんない。