今月のコマフォトの繰上和美さんの記事部分を読んでいて
24時間写真家であることは詩人に近い、近づく
といった文脈の文言があって
詩人って面白いなとおもったので
覚えていようと思った。
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24時間写真の虫でいる。のは
憧れたりとか目指すような類いのものではなくて
そうしているか、そうしていないか、とか
結局そうしてしまうというのか
生き方とか、姿勢の問題でしかないのかも。
そんで、そういう人は写真家だったりする。
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ディック・ブルーナさんが展示してた(松屋/ゴーゴーミッフィー展)の
ビデオインタビューで
「ちょっとだけ」悲しそうに、
とか「ちょっとだけ」不思議そうに(だったかな)、
ミッフィーちゃんを見せるために
私がどれだけの時間を要すると思いますか?としゃべってた。
これも響く問いかけで、特に覚えてる。
大事なものは自分から妥協してはいけないし
目指すところまできちんと連れて行ってあげないと。
そうしないと
あのミッフィーは居なくなってしまう。
自分が大事なものは
人は大事ではないかもしれない、という不安は
意味のない不安で。
大事だったらやはり手を離してはならない。
人でも、作品でも、仕事でも、記憶でも、ことばでも
それか何かちっぽけなものでも。
そのためには人より努力しなきゃならないね。
その前に、何が大事なんか?は何度も問いかけて
知っとかないといかんけど。
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きょうのメモの要は
つまるところ
虫でいいじゃんか、むしろ
虫でいろ!
と、いうことか。
虫だ!